
私は1962年大阪市蒲生4丁目生まれ56歳の男性です。
あと少しで定年を迎える予定でした。
ところが、自分の中で何かが弾けて平成30年5月10日付けにて会社を退職し
第三の人生のスタートを切る事となりました。
始まりは、17歳の時、母が死んでしまいました。
当時2万人に一人の病であったと聞いています。
私が中学3年の時に、お医者様から余命3年と宣告され、その通りに母を看取りました。
幼い頃から母は病弱で、学校の遠足などに行っても
母の事が気がかりであった事を覚えています。
絶対的な母の存在でしたので、当時のショックは半端なものではありませんでした。
しかし、世間ではもっと幼い子供が両親を亡くすなど、
私だけ不幸ではないと思う事を心がけました。
すると、今まで良い子を演じないと母に心配をかけると抑えてきた感情が、
180度方向転換していきました。

幸い父親が働いてくれておりましたので、生活には困りませんでした。感謝感謝です。
しかし、料理や家事は誰が・・・
母は気づいていたのです自分の死を!
私に料理や洗濯・家事など小学校の時からこれからの男は家事位こなせないといけない。一通り教わっていたのです。
驚き・・・
それ以上に、心のつっかえ棒が無くなったの如く、
私の思考は母ではなく外へ外へと
物凄いスピードで弾けて行きました。
少年雑誌にタレントオーディションの案内があり!心が躍りました。即書類を送付。その後一次審査が合格となり東京のサンシャイン60にて、二次面談となりました。そして合格となり養成所に入る事となりました。その後約12年間、ミュージカルに人生をかけ、芦屋ルナホ-ルを拠点として活動を行っておりました。
当時キャッツアイやマイケルジャクソンのスリラーなど、ジャズダンスブ-ムの最中、インストラクタ-として辛うじて生活を繋いでおりましたが、24歳の時、突然関西の有名芸人に弟子入りしました。約3年間師匠のお笑いのセンスを学ぼうと必死でしたが、自分の才能の無さに気づき、夢を諦めました。
幸いにもバブルの恩恵もあって、30歳を目前に社会人として某継手メーカーに就職し、当時交際していた女性と即結婚の運びとなり第二のスタ-トを!その後、仕事も順調に安定した生活を手に入れ、幸いにも二人の子供を授かり、現在24歳男性と19歳女性共に社会人となってくれました。会社では、14年間で7つの部署を渡歩き、後半の12年間は香川県高松市で単身赴任を続けてきました。色々な事を経験させて頂き幸せな日々を送らせて頂きました。

しかし53歳の時に、ある言葉に出会いました。
実力を付けるより、運をつけろ!
自分の人生目的を明確にしているか?
素晴らしい未来を得たいのであれば、今発している言葉を天国言葉に変えなさい。
今この時を感謝の気持ちでいっぱいにしなさい。
確実に一日一日死に近づいている事にも気づかせて頂き、このまま今の生活を続けて本当に後悔しないのかと自問自答を繰り返し、やはりこのままでは嫌だと弾けてしまいました。人生2回目の弾けが、自分の中で増殖が始まってしまった時、新しい人生のスタ-トを決意し、自分の人生を楽しみ、後悔しないと覚悟しました。
「マインドフルネス瞑想」を中心に酵素を取入れた、減食・ファスティングを日本・世界の文化する。心と身体を健康にそして幸せに生きていく、サポ-トをさせて頂くことを宣言いたします。
上記の文章はほんの一部を紹介させて頂いておりますので、
ご興味がおありの方は一度マインドフルネススタジオに御出でください
お待ちしております。
ありがとうございます。